世界遺産 韮山反射炉を見学

3年ぐらい前でしょうか、静岡県田方郡韮山町(現在の伊豆の国市)へ行ったときのことです。
どうにも町が揺れて騒がしい。 暫くして国がユネスコの世界文化資産に登録推薦をしたからだと解りました。(平成25年4月)

それから2年4か月、平成27年7月に目出度く韮山反射炉が世界文化資産に登録されました。

この世界遺産は、明治の産業革命遺産として、日本国内8エリア23資産から構成されており、韮山町(現在の伊豆の国市)には現存する唯一の反射炉が残っています。

日本が鎖国を行っている江戸時代、ヨーロッパの産業革命の波は日本に急速に押し寄せ、この大波を被らないためにも、幕府は、重工業(製鉄・製鋼・造船・石炭)を中心に急激な産業化の必要に迫られました。

そして、幕末から明治にかけて全国8つのエリアを中心に、船や石炭等を利用し産業経済の基盤が作られました。
その中で西洋の技術を導入して、鉄製大砲鋳造を作ったのが韮山反射炉です。

千度以上の高温に耐えられる高炉を製造する必要がありましたが、当時の日本にはそこまでの溶解炉を作る技術はなく、試行錯誤を繰り返し試みましたが成功しませんでした。
幕府も度重なる下田・浦賀へのアメリカ艦隊の来航もあり、島国日本を守るためにも海上防衛の体制を重要視せざるを得なくなりました。

そこで、反射炉の建設を建議した韮山の代官江川太郎左衛門英龍に命じ、蘭学に通じた官僚たちにより西洋の新技術を導入、息子である江川英敏の代に完成させました。(完成は安政4年)

反射炉とはどのようなものでしょうか。

内部の天井がドーム状になった炉に、発生した熱と炎を反射する方法で炉内を高温化し鋳造を行います。
また、その高温に耐えうる煙突を作るため、わざわざ東北からレンガを入手したそうです。
こうして連双2基4炉の韮山反射炉が完成しました。

韮山反射炉が完成して150年。 これまでに何度かの大規模な修繕がなされ、現存する反射炉は、ここ韮山だけになってしまいました。

では、ここで功績のあった江川英龍とはどのような人か?

その答えは、現地に行き、ボランティアの話を聞きながら、近くの小川の側に建つ大きな銅像を見るのが一番です。

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